量子コンピュータにおける量子ビットのモデルとなる新奇なビラジカルの開発と新しいマイクロ波技術による量子状態制御に成功
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大阪市立大学大学院理学研究科の佐藤 和信(さとう かずのぶ)教授、杉﨑 研司(すぎさき けんじ)特任講師、工位 武治(たくい たけじ)特任教授らの研究チームは、ロシアのノボシビルスク州立大学?ノボシビルスク有機化学研究所のエレナ?バグリャンスカヤ教授らのグループと共同して、量子コンピュータにおける量子ビットのモデルとなる新奇なビラジカル※を分子設計し、本学研究グループが開発したパルスマイクロ波分光技術を用いて、液相中で電子スピン量子ビットの初歩的な量子状態の制御を実証しました。
本研究成果は、化学結合に与らない不対電子をもつ異なるラジカルが弱く交換相互作用する量子ビットモデルの分子設計の指針を与え、より多数の量子ビットからなる系に関して、高度な量子状態制御の技術開発に貢献できると期待されます。なお、今回新たに合成されたビラジカルは、従来型のNMR(核磁気共鳴)測定の感度を飛躍的に増幅する、DNP(動的核スピン分極)効果をもち、900倍の測定時間短縮を実現しました。
本研究成果は、国際学術誌「The Journal of Physical Chemistry A」のオンライン版に、8月16日に掲載されました。
※:不対電子をもつ分子種をラジカルといい、分子内に2つのラジカル部位をもつ化合物を一般にビラジカルという。
研究背景
分子中に一つの不対電子スピンをもつ安定なラジカルは、生体系におけるスピンプローブや分子磁性化合物の構成ユニットとして用いられ、これまで生体内反応や新しい分子物性の理解に重要な役割を担ってきました。
近年は、それらに加えて固体NMRにおいて電子スピンを媒介した動的核スピン分極(DNP)を用いたNMR信号増幅効果や、量子コンピュータの構成要素である量子ビットへの安定なラジカルの応用が盛んになってきています。分子合成の面から複数のラジカル部位を含むマルチスピン系(ビラジカル、トリラジカル、テトララジカルなど)の開発が進む一方で、電子スピンDNP効果の由来を解明したり、複数電子スピンの量子状態の制御によって量子コンピュータを開発する新たな方向性、そのための新たなマイクロ波技術開発も探索されるようになりました。
研究内容
本研究では、安定なラジカルとして異なるg値(磁気的性質)をもつトリチルラジカルとニトロキシドラジカルに着目し、ラジカル間に働く量子力学的な力(交換相互作用という)が制御用外部電磁波の強度と同程度の約10 MHzになるように設計しました。ラジカル間にアリル基で連結させたビラジカル2種を理論的に設計し、合成しました。電子スピン共鳴(ESR)スペクトルから、今回合成したビラジカルがいずれも約6MHz、3.5MHzと理論的に予測された値と近い交換相互作用をもつことを明らかにしました。これまで類似の化合物でよく似たスペクトルが観測され、異なる2つのビラジカルの重ね合わせで説明されていましたが、今回のビラジカルについては、異なるマイクロ波を用いる多周波ESR分光法を適用することによって、ESR信号の分裂が交換相互作用に由来するものであることを実証しました。
ニトロキシドラジカルとトリチルラジカルがアリル基で
連結されたビラジカルの構造とESRスペクトル
また、量子ビットとして分子中の不対電子スピンを利用する、量子スピンコンピュータの動作技術開発の一環として、任意波形パルスマイクロ波技術を適用した量子状態制御の実験を行いました。任意波形信号発生器(AWG)で作成した任意波形マイクロ波パルスを液相中のビラジカルに照射することによって、ビラジカル系の量子スピン状態を操作することができます。パルスESR法を用いたフーリエ変換ESRスペクトルは、トリチルラジカル由来の信号が強く、ニトロキシドラジカル由来の信号は非常に弱いものでした。ニトロキシドラジカルの信号が強くなるようなパルス波形を計算により最適化して設計し、スペクトルを観測したところ、ニトロキシドラジカルの信号が相対的に増強されたスペクトルを得ることに初めて成功しました。AWGを用いた新しい分光法を通じて、計算により最適化された任意波形マイクロ波パルスによって効果的に特定の量子状態が操作できることを示す初めての成果です。
なお、今回新たに合成されたビラジカルは、従来型のNMR(核磁気共鳴)測定の感度を飛躍的に増幅する、DNP(動的核スピン分極)効果をもち、900倍の測定時間短縮を実現しました。
期待される効果
今回の実験で明らかとなった新奇なビラジカルは、電子スピン量子ビットに関して液相中で初歩的な量子状態制御を実現できるモデル分子として有益です。磁気的性質の違いを反映したg値の異なるビラジカルに対して、さまざまな量子状態制御を実現する任意波形パルスの実験に用いられることにより、高度な量子状態操作を必要とする量子コンピュータの開発の実証実験につながると期待されます。g値違いを分子設計に組み込む考え方(g-エンジニヤリングという)は、「渡り鳥の分子コンパス」、化学反応の磁場効果や生体系のセンシングを分子レベルで解明するモデルを与えるものとして、最近注目を集めているだけでなく、従来のマクロ波分光技術では不可能とされてきた、高度なパルス波形の制御と量子状態制御を利用する新しい分光手法への展開も期待されています。
資金等について
本研究は、日露二国間共同研究(JSPS-RFBR)、AOARD Scientific Project on “Molecular Spins for Quantum Technologies” (Award No. FA2386-17-1-4040, 4041), JSPS KAKENHI Grant Numbers 17H03012, 17K05840, 18K03465の対象研究です。