量子コンピュータで原子?分子の任意のエネルギー差を直接計算できる新規量子アルゴリズムを開発!
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この研究発表は下記のメディアで紹介されました。
◆9/6? マイナビニュース?
本研究のポイント
◇ 量子化学計算は、量子コンピュータの近い将来の計算ターゲットとして注目されている。
◇ 化学では全エネルギーではなくエネルギー差が重要であり、大きな分子でもエネルギー差を直接計算できれば計算コストを抑えることも可能に。
◇ 原子?分子の任意のエネルギー差を量子コンピュータで直接計算できる新規量子アルゴリズムを開発。
◇ 開発した量子アルゴリズムは汎用性が高く、量子化学計算だけでなく様々な物理問題?数学問題への応用も期待。
概要
大阪市立大学大学院 理学研究科の杉﨑 研司(すぎさき けんじ)特任講師、佐藤 和信(さとう かずのぶ)教授、工位 武治(たくい たけじ)名誉教授らの研究チームは、量子コンピュータを用いて原子?分子の任意のエネルギー差を直接計算できる量子アルゴリズムを開発しました。開発した量子アルゴリズムは、量子化学計算だけでなく様々な物理問題?数学問題へも応用が期待されます。
本研究成果は、国際学術誌『Physical Chemistry Chemical Physics』に2021年9月2日(木)17時(日本時間)にオンライン掲載予定です。
本研究のポイント
雑誌名:Physical Chemistry Chemical Physics
論文名:A Bayesian phase difference estimation: a general quantum algorithm for the direct calculation of energy gaps
著 者:Kenji Sugisaki, Chikako Sakai, Kazuo Toyota, Kazunobu Sato, Daisuke Shiomi, and Takeji Takui
掲載URL: https://doi.org/10.1039/d1cp03156b
研究者からのコメント
杉﨑 研司 特任講師
量子化学計算では最終的にエネルギー差を議論するので、エネルギー差の直接計算を可能にする量子アルゴリズムの登場は量子コンピューティングだけでなく化学の立場からもとても意義深いものです。
1.背景
近年、暗号に利用する桁数の大きな数の素因数分解のように、スパコンなどのコンピュータでは問題サイズに対して指数関数的に計算時間が増える特定の課題を、問題サイズに対して計算時間が指数関数的に増えることなく、多項式時間内で解くことができる量子コンピュータの研究が活発に行われています。そのなかでも原子?分子のシュレーディンガー方程式※1を近似的に解き、電子状態を明らかにする量子化学計算は、量子コンピュータの近い将来の計算ターゲットとして特に注目されています。
全配置間相互作用法※2(full configuration interaction; full-CI法)と呼ばれる精密な量子化学計算は、従来のコンピュータでは分子サイズに対して指数関数的に計算コストが増大しますが、量子コンピュータでは、量子位相推定※3という量子アルゴリズムを用いることで、分子サイズに対して多項式時間内で計算可能なことが知られています。しかし、量子コンピュータを用いた量子化学計算では、エネルギー計算値の誤差に反比例して計算コストが増えるため、全エネルギーを小さな桁まで正確に求めることは非常に大変です。一方で、可視光などの電磁波の吸収波長を計算して分子を同定する、化学反応の進行に必要なエネルギー障壁の高さを求めるなど、量子化学計算で扱う問題のほとんどは分子の全エネルギーそのものではなく、エネルギー差を議論します。また、大きな分子や周期表で下の方に現れる重原子が入った分子は大きな全エネルギーを持ちますが、電子励起エネルギーやイオン化エネルギーなど、化学で議論されるエネルギー差の大きさは分子サイズにあまり依存しないという特徴があります。同研究グループはこれらの背景をふまえ、全エネルギーではなくエネルギー差を量子コンピュータで直接計算することができれば、量子コンピュータを実際の化学研究や物質開発に役立てられる未来を創造できると考え、研究を進めています。
2.研究内容
量子コンピュータによるfull-CI計算に用いられる量子位相推定アルゴリズムは、波動関数 を時間発展させると、全エネルギーに依存した速さで波動関数の位相が変化する事象を利用した量子アルゴリズムです。従来の量子位相推定では、① という量子重ね合わせ状態を準備し、② 1つめの量子ビットが 状態のときのみ波動関数 を時間発展させるような制御–時間発展演算子を作用させます。これにより、 状態は時間発展前の位相、 状態は時間発展後の位相を持つ状態を作り出すことができ、その位相差を決定することで全エネルギーを計算します。
これに対し同研究グループは、量子位相推定アルゴリズムを応用し、① という、エネルギー差を求めたい2つの電子状態の波動関数の量子重ね合わせ状態を準備し、② この量子状態を時間発展させることで、時間発展後の と の位相差、すなわちエネルギー差を直接計算できる「量子位相差推定」アルゴリズムを開発しました。
また同研究グループは、すでに、スピン量子数※4が異なる電子状態(スピン状態)間のエネルギー差を直接計算する量子アルゴリズムを開発していますが(K. Sugisaki, K. Toyota, K. Sato, D. Shiomi, T. Takui, Chem. Sci. 2021, 12, 2121–2132.)、この量子アルゴリズムでは、1)実装に必要な量子ビット数が従来法である量子位相推定よりも増えてしまう、2)紫外–可視吸収スペクトルの帰属などで重要となる、スピン量子数が等しい電子状態間の励起エネルギーを求めることができない、といった欠点を抱えていました。これに対し、本研究で新たに開発した量子位相差推定アルゴリズムは、これらの欠点を克服しており、汎用性の高い量子アルゴリズムになっています。
図:従来法である量子位相推定アルゴリズムと本研究で開発した量子位相差推定アルゴリズム
3.今後の展開と応用について
本研究で開発した量子位相差推定アルゴリズムの適用先は量子化学計算に限定されず、磁石などの磁性体のモデルなどで使われているイジングモデルや固体中の電子の振る舞いを記述するのに用いられるハバードモデルの固有値問題にも適用できるなど、様々な物理問題?数学問題への応用が期待されます。
また、本研究で開発した量子位相差推定アルゴリズムは、従来法である量子位相推定では必須だった制御–時間発展演算が不要となるので、量子コンピュータ実機への実装が量子位相推定よりも容易になると期待されます。
用語
※1 シュレーディンガー方程式…量子力学的な状態を表す波動関数の時間的変化を規定する微分方程式で、量子力学の基礎となるもの。
※2 全配置間相互作用法…波動関数展開において、可能な全ての電子配置を考慮する方法。分子軌道展開に用いた基底関数の張る空間のなかでの数値的最適解を与える。
※3 量子位相推定…量子コンピュータを用いて、波動関数が時間とともにどのように変化するかを記述する時間発展演算子など、ユニタリー演算子の固有値を古典コンピュータよりも指数関数的に速く計算できる量子アルゴリズム。量子化学計算だけでなく、線形方程式を解く量子アルゴリズムなど、様々な問題に応用されている。
※4 スピン量子数…電子のスピン角運動量の大きさを特徴づける量子数であり、1つの電子はスピン量子数S = 1/2を持つ。一般に分子は複数の電子をもつので、分子のスピン量子数Sはゼロおよび正の整数または半整数となる(S = 0, 1/2, 1, 3/2, …)。通常の分子内では一般に2つの電子はペア(電子対)を作って安定化し、基底状態のスピン量子数はS = 0(スピン一重項状態と呼ぶ)となることが多いが、分子内に不対電子と呼ばれる電子対を作っていない電子を持つ分子ではスピン量子数Sが0ではない電子状態が基底状態となる、あるいは基底状態のエネルギー的近傍に現れる。
資金情報
本研究は、JSTさきがけ「量子化学計算の高効率量子アルゴリズムの開発」(JPMJPR1914)、JSPS科研費基盤研究C (18K03465, 21K03407)の対象研究です。